なぜそばだったのか

なぜそばだったのか

そばとライ麦は、痩せた土地への対応が違うことを、前回書きました。
そして、ライ麦が日本にほとんど根づかなかったのは、伝来の時期が桁違いに遅かったからだと書きました。
ただ、これだけでは説明が足りません。
そばが日本で選ばれたことには、もう一つの理由があります。

日本には、世界の活火山のおよそ一割が集まっています。
国土の面積を考えると、火山がかなり密集している国だということです。
火山灰に由来する黒ボク土は、日本の畑地のおよそ半分を占めています。
リン酸を強く固定する性質があり、植物がリンを利用しにくい土壌です。

そばは、こうした黒ボク土でも育つ性質を持っています。
もちろん、じゃがいもや大豆など、この土地でも育つ作物はほかにもあります。
それでも、米づくりが難しい山あいの土地で、そばが頼れる作物の一つだったことに変わりはありません。

天保の大飢饉(一八三三年から)のときには、そば粉を糠や小麦と混ぜて団子にするなど、飢えをしのぐ食料として利用された記録が残っています。
岩手山のふもとや、蔵王、御嶽山麓の高原など、火山の周辺には、昔からそばの産地として知られる土地が点在しています。
痩せた土地で育つという能力が、飢えをしのぐ手段として、各地の暮らしに組み込まれていったということです。

ただし、そばがこの土地に合わせて根の能力を身につけたわけではありません。
そばは中国南西部の山地で栽培化されたと考えられていて、日本の火山灰土のために進化したわけではないのです。
もともと持っていた、土に固定されたリンを利用する能力が、日本に伝わったあとで、たまたま黒ボク土という土地と噛み合った。
そういう順番だったと考えられます。

ライ麦が対応してきたのは、ヨーロッパに広がる、酸性で砂質の痩せた土地でした。
そばが噛み合ったのは、火山灰に由来する黒ボク土でした。
この国に広がる、火山性の痩せた土地という問題に、そばの根がたまたま合っていたということです。

Back to blog